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茅ヶ崎商工会議所女性会 創立25周年記念チャリティ講演会


   
PDF版チラシは上の画像を右クリック→名前をつけて保存してご利用ください。
 
日 時 - - - 平成25年12月17日(火)
  18:30開場 19:00開演 20:30閉会予定
 
会 場 - - - 茅ヶ崎市民文化会館小ホール
 
参加者 - - - 323名
 
受講料 - - - 無料
 
 
 
     
 
 
当女性会では例年、商工業者・市民を対象とした公開講演会を実施しております。今回は、創立25周年を迎えるにあたり、徳さんの愛称で親しまれる茅ヶ崎市在住のフリーアナウンサー徳光和夫さんをお招きして、チャリティ講演会を開催いたしました。

主催:茅ヶ崎商工会議所女性会 共催:茅ヶ崎商工会議所 後援:茅ヶ崎市
 
 

●お申込・お問合せ
 
 
終了しました。

茅ヶ崎商工会議所女性会 事務局
〒253-0044 神奈川県茅ヶ崎市新栄町13-29
TEL:0467-58-1111 FAX:0467-86-6601  e-mail:soudan@chigasaki-cci.or.jp
 ※お電話での参加申し込みはできません。お問合せは平日9:00~17:00にお願いいたします。(土日祝閉館)
 
 

●講師プロフィール

フリーアナウンサー
徳 光 和 夫さん (とくみつ かずおさん)
 
★講師:徳光和夫さんのプロフィール
昭和38年に日本テレビ入社。プロレス中継、うわさのチャンネル、紅白歌のベストテン、ズームイン!!朝、歌のワイド90分、TVフォーラム など数多くの番組を担当して活躍。平成元年に独立してフリーに、情報・報道・バラエティなどを中心に現在も活躍中。茅ヶ崎市在住、大の箱根駅伝好きで復路8区の沿道で応援する姿は茅ヶ崎の名物ともいえる。


●講座レポート
 
 
創立25周年を記念して
徳光和夫さんによる講演会を開催

当商工会議所女性会は昭和63年の設立から25周年を迎え、記念事業として茅ヶ崎在住のフリーアナウンサー徳光和夫さんを招き12月17日、茅ヶ崎市民文化会館を会場にチャリティ講演会を開催いたしました。当日は、商工業者や市民など300人以上が参加し「マイク人生50年 徳さんと茅ヶ崎」というテーマで、50年を迎えられた同氏の司会活動のエピソードや、茅ヶ崎市への想いなどをお話いただきました。
「テレビでの司会は2時間番組でも司会者としてしゃべるのは10分程度で、あとはつなぎ程度です。大学3年生の時に茅ヶ崎に移住し、52年間在住しております。当時の茅ヶ崎は人口が12万人くらいだったのではないかと思いますが、今や23万人を超えていると伺っております。茅ヶ崎の住環境、人と人とのつながりが多くの人たちを呼び、一度住むとなかなか離れがたい街であると思います。東京から電車に乗ると、茅ヶ崎の気温は3~4度くらい違うのではないか、と感じるほど温暖で、ほっとするような暖かさがあります。また、休日を休日として過ごせることも茅ヶ崎の魅力だと感じています。かつて、ズームイン朝という番組を担当しました。朝早くの番組ということもあり、都内の日本テレビの近くにワンルームを借りました。家族がどうしても茅ヶ崎を離れたくないということで約10年間単身赴任のような形で週末だけ茅ヶ崎に戻ってくるという生活になり、改めて、茅ヶ崎の良さを再認識する結果になりました。
茅ヶ崎に引っ越した当時は、オートバイの横に一人だけ座れる輪タクというのが南口にありました。このような時代から茅ヶ崎市はどんどん発展し、茅ヶ崎に住んでいることが非常に大きなステータスになりました。加山雄三さんやサザンオールスターズの桑田佳祐にちなんだ、「雄三通り」「サザンビーチ」があります。私も、雄三通りからちょっと入った自宅への道を「徳光和夫横丁」と自分で名付けました。今日ご参加の皆さんも茅ヶ崎に住んで、他には出たくないという方ばかりはないかと思います。女性会の皆さんは25年の風雪の中、しっかりと座標軸を持って今日まで活動してこられ、経営者や市民の力になって来られました。
今日はマイク人生50年ということでテレビに携わって感じたことなどをお話したいと思います。テレビの歴史は60年、昭和28年の2月1日にNHKが本格的な放送をスタートしました。同年8月28日には日本テレビが放送を開始し、お昼に掛けて最初のコマーシャルが放送されました。『SEIKO社の時計が正午をお知らせします』のCMであります。ここからテレビはスタートしまして、今日まで60年の月日を重ねてまいりました。当初のテレビは1インチ1万円と言われ、大卒給料が1万3千800円の時代に普通の人はなかなか買えません。なんとかテレビを見てもらいたいということで、街頭受像機として大きな駅前などに設置して色々な映像を映しておりました。最初は物珍しさから多くの人が立ち止まりましたが、だんだん通り過ぎていくようになってしまいました。こうした中でテレビの最初の恩人と言えるのが力道山です。
戦争の傷も癒えていない昭和28年、戦勝国アメリカの大男たちをなぎ倒す姿に、多くの人たちが、プロレスというスポーツの人気以上に、敗戦から打ちひしがれたものに新たな活力を与えてくれるように、多くの人が夢中になりました。当時の新橋駅の写真には32インチのテレビに2万数千人が群がった光景があります。初めて多くの人たちがテレビに対して関心を示した時でした。次に恩人となるのが王・長嶋のON時代です。日本テレビ開局の翌日から後楽園球場のジャイアンツ戦生中継が始まりました。今は野球中継というと10台のカメラを駆使して、色々な角度から野球がよりドラマティックなスポーツであるようお伝えしています。開始当時は2台のカメラでお伝えしておりました。バックネット裏と1塁側にありましたが3大目のカメラを設置し野球がドラマとして成立するようになりました。ピッチャーがバッターの方を向く、もう一台がバッターをとらえる、別々に映すことで、ピッチャーとバッターが対決する映像が成立することになりました。さらに3大目のカメラが打たれた投手を捉え、これが最大のドラマになりました。
そして最大の恩人は、今上陛下であります。皇太子時代のご成婚の行列が生中継の始まりでした。なんとかこれを茶の間で見ようとテレビを購入した人が全所有者の30%位いらっしゃったそうです。テレビが家庭に浸透した恩人は、正に今上陛下ご夫妻です。家庭にテレビが普及すると、仕事後のお父さんは野球中継と一杯のビールが原動力となり、今日のわが国の繁栄の原動力になったと言っても過言ではないと思います。 

私は、王・長嶋を中継したくてアナウンサーを志しましたが、あいにく念願かなわず、入社2年目にプロレス中継に回されました。ここでジャイアント馬場さんンに出会いました。馬場さんはとても素晴らしい人で『人との付き合いは付かず離れずが一番。相手が気を許しても相手の懐にに土足で踏み込まない。常に相手の立場を気遣い距離を置いて付き合いなさい』とアドバイスをいただいた。距離をおいて付き合うと色々なものが見えてきます。長嶋茂夫さんは非常に面白い方です。熱いプレー、人生前向き、脳梗塞で倒れられても努力して監督時代と同じ体型に戻られました。長嶋さんには美学があります。スポーツマンたるものお腹が出ていてはいけないとランニング、腹筋を欠かさずにやっておられました。この体系まで回復されたということは前向きに取り組まれたことの証です。私が高校2年生の時に長嶋さんの当時大学新記録となる第8号ホームランを拝見して「この人の後輩になりたい」と立教大学を受けました。大学で土居まさる(アナウンサー)という盟友と会い放送研究会に所属、野球部が活動しているそば、長嶋さんの活躍する足跡を追いたいと動いていたところ、そんなに好きならアナウンサーの試験を受けてみてはどうかと勧められ、アナウンサーになりました。当時、アナウンサーは成績優秀な者が多く500人以上が受験する中、小中学校オール3でも試験には妙についていた私が、落語が好きだったおかげで人前で上がることも無く、昭和38年日本テレビに合格しました。 
 
ここから私のマイク人生が始まるわけです。テレビが何を伝えているかというと、やはり生放送が大切です。昨今は長時間のバラエティ番組が多いですが、顔ぶれも同じで皆さんずっと見ているかというと見ていないのではないか、テレビはつけたままにしているだけではないかと思います。実はこれが狙いです。チャンネルを変えてもらいたくないから番組を長時間にする。視聴率という数字が天下です。作り手がチャンネルを変えさせないことばかり考えている今のテレビ番組づくりは、ほとんどが制作会社の人で、テレビ局の人間は少ないのです。昔のテレビは何とか見てもらう、食事中でも箸をとめても画面に釘付けにするような工夫を常に考えて番組を作っておりました。昨今のバラエティでも優れた番組はありますが、タレントさんの個性頼みといった印象があります。これからは、テレビをご覧の皆さんの中の優れた人・面白い人をテレビに吸い上げていくという時代が来ると思います。今もその兆候が見え隠れします。そして、生放送が大切です。皆さんが確実にご覧になっているのが、テレビの一番の長寿番組であるニュース番組です。テレビ創世記のニュースは、アナウンサーが活字言葉のような難しい言葉でお伝えしておりました。ズームイン朝を10年やりニュースを担当することにもなりましたが、ちょうど時代が久米宏氏さんという機代の天才的なキャスターが生まれたことにより、ニュースが興味深い番組としてお茶の間にはいってきた。次のVTR時代のテレビは哀れでした。同じ時間に同じ人が他局の テレビに出ている。これが面白くないという要因になりました。その頃24時間テレビが始まりました。萩本欣一さんが募金を集めるチャリティ番組でしたが、生放送ゆえ、もしかすると何かあるかもという期待感が視聴者芽生え、唯一つ、生放送だったというだけで大成功を収めました。24時間テレビは「愛は地球を救うというテーマ」でしたが、正に「生はテレビを救った」わけです。これが無ければテレビは衰退の一途をたどったのではないでしょうか。追いかけるように、生の面白さ、お昼の時間に革命的な番組ができました。「笑っていいとも」これらはテレビの中で大きな役割を果たしたと思います。そこで久米宏さんの素晴らしさです。私たちの話している言葉でニュースを伝え、キャスティングも絶妙でした。NEWSは新しいことを伝えるのはもちろんのこと、東西南北なんでもニュースであるという精神でニュース番組がお茶の間にかなり浸透しました。ニュースは生です。生だからおもしろく、テレビは新たな時代を迎えました。
生放送にはハプニングがあります。何があるかわからないから面白い。優れたドラマも多くありますが、生放送が増えるほどテレビは活気づくと思います。スポーツ中継はほとんど生です。多くの人が注目してくれる。私たちも、生で伝えていかなければならないという使命感もあります。
一方で自分の意見を言うというのは生放送の場合は怖いことです。大きな影響力があります。正直なことを言っても、その正直さが傷つけるということもあります。アメリカで30年にわたり名キャスターと言われたウォルター・クロンカイトという人がいます。クロンカイトは、ニュースを伝えるときに決して私見を述べませんでした。事実を淡々と伝える。事実を色々な角度から伝える。たった一度だけ私見を述べたのが、アメリカがベトナム戦争に突入した時です。「我が国の選択はこれで良かったのであろうか?」私見ではありますが、視聴者への投げかけであり、反戦運動の原動力になりました。自分がその日に伝えたいュースを順番にキャスティングしていく。これをニュースキャスターというのだという基本理念・座標軸をもってニュースに臨んでおり、アメリカ国民から絶大な信用がありました。彼の個性はゲストを招いたときに発揮されました。なんとかゲストから核心を突く言葉を引き出そうといったことをやってきました。ニュースの伝え手はクロンカイトのようにしなければならないと思い、目標としてアナウンサー生活を送ってきました。ゲストがしっかりしゃべれる環境作りを目指してきました。色々な事実を色々な角度から一つ一つ伝えることが役割ではないかと思います。
テレビは60年還暦です。現代はテレビ離れが進みインターネットの時代です。報道が伝えるより先に事実が伝わるスピードの時代です。アマチュアの人が流す情報が、事実かどうかわからない心配な時代でもあります。生放送に戻ること、テレビが何を伝えなければならないかを今一度考える必要があるのではないかと思います。60年の歴史の中で人間の価値観はテレビによって変わってきました。テレビが家に1台しかなかった時代、1台のテレビを家族全員で見ました。この時代は時間がゆっくり流れ、考える時間がありました。「正しい正しくない」「タメになるならない」「良い悪い」という理性での価値判断がありました。しかし、情報化時代になりスピードが増し、情報をキャッチするには「カッコ良いカッコ悪い」「好き嫌い」「損か得か」といった感性で判断することが増えてきました。自分の欲しい情報は手に入るが一つ一つに対して考えるという習慣が薄れてきました。これはテレビの功罪でもありますが、情報化時代でテレビが先を競うように情報を流すことによって感性人間が増える。だから社会でも理性世代の上司と感性世代の社員といった2極性が現れてしまった。感性世代の人間は理性世代が「正しい」といっても「面白く」なければ伝わらない。家庭内でも理性世代の親、感性世代の子の2極化によって親子の溝が深まり会話が無くなる。これはテレビの罪の部分ではないかと思います。理性世代が感性世代に歩み寄る必要があります。。親子のコミュニケーションが欠けていると言われますが、会話を持ってお子さんたちの感性を理解していただきたいと思います。
最後に、皆さまの限りない幸せにズームイン!」
 テレビで見たお人柄そのままのとても温かなお話で、笑いありの楽しい講演会となりました。 
 
 
 



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