戦争の傷も癒えていない昭和28年、戦勝国アメリカの大男たちをなぎ倒す姿に、多くの人たちが、プロレスというスポーツの人気以上に、敗戦から打ちひしがれたものに新たな活力を与えてくれるように、多くの人が夢中になりました。当時の新橋駅の写真には32インチのテレビに2万数千人が群がった光景があります。初めて多くの人たちがテレビに対して関心を示した時でした。次に恩人となるのが王・長嶋のON時代です。日本テレビ開局の翌日から後楽園球場のジャイアンツ戦生中継が始まりました。今は野球中継というと10台のカメラを駆使して、色々な角度から野球がよりドラマティックなスポーツであるようお伝えしています。開始当時は2台のカメラでお伝えしておりました。バックネット裏と1塁側にありましたが3大目のカメラを設置し野球がドラマとして成立するようになりました。ピッチャーがバッターの方を向く、もう一台がバッターをとらえる、別々に映すことで、ピッチャーとバッターが対決する映像が成立することになりました。さらに3大目のカメラが打たれた投手を捉え、これが最大のドラマになりました。
そして最大の恩人は、今上陛下であります。皇太子時代のご成婚の行列が生中継の始まりでした。なんとかこれを茶の間で見ようとテレビを購入した人が全所有者の30%位いらっしゃったそうです。テレビが家庭に浸透した恩人は、正に今上陛下ご夫妻です。家庭にテレビが普及すると、仕事後のお父さんは野球中継と一杯のビールが原動力となり、今日のわが国の繁栄の原動力になったと言っても過言ではないと思います。 |
私は、王・長嶋を中継したくてアナウンサーを志しましたが、あいにく念願かなわず、入社2年目にプロレス中継に回されました。ここでジャイアント馬場さんンに出会いました。馬場さんはとても素晴らしい人で『人との付き合いは付かず離れずが一番。相手が気を許しても相手の懐にに土足で踏み込まない。常に相手の立場を気遣い距離を置いて付き合いなさい』とアドバイスをいただいた。距離をおいて付き合うと色々なものが見えてきます。長嶋茂夫さんは非常に面白い方です。熱いプレー、人生前向き、脳梗塞で倒れられても努力して監督時代と同じ体型に戻られました。長嶋さんには美学があります。スポーツマンたるものお腹が出ていてはいけないとランニング、腹筋を欠かさずにやっておられました。この体系まで回復されたということは前向きに取り組まれたことの証です。私が高校2年生の時に長嶋さんの当時大学新記録となる第8号ホームランを拝見して「この人の後輩になりたい」と立教大学を受けました。大学で土居まさる(アナウンサー)という盟友と会い放送研究会に所属、野球部が活動しているそば、長嶋さんの活躍する足跡を追いたいと動いていたところ、そんなに好きならアナウンサーの試験を受けてみてはどうかと勧められ、アナウンサーになりました。当時、アナウンサーは成績優秀な者が多く500人以上が受験する中、小中学校オール3でも試験には妙についていた私が、落語が好きだったおかげで人前で上がることも無く、昭和38年日本テレビに合格しました。 |
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ここから私のマイク人生が始まるわけです。テレビが何を伝えているかというと、やはり生放送が大切です。昨今は長時間のバラエティ番組が多いですが、顔ぶれも同じで皆さんずっと見ているかというと見ていないのではないか、テレビはつけたままにしているだけではないかと思います。実はこれが狙いです。チャンネルを変えてもらいたくないから番組を長時間にする。視聴率という数字が天下です。作り手がチャンネルを変えさせないことばかり考えている今のテレビ番組づくりは、ほとんどが制作会社の人で、テレビ局の人間は少ないのです。昔のテレビは何とか見てもらう、食事中でも箸をとめても画面に釘付けにするような工夫を常に考えて番組を作っておりました。昨今のバラエティでも優れた番組はありますが、タレントさんの個性頼みといった印象があります。これからは、テレビをご覧の皆さんの中の優れた人・面白い人をテレビに吸い上げていくという時代が来ると思います。今もその兆候が見え隠れします。そして、生放送が大切です。皆さんが確実にご覧になっているのが、テレビの一番の長寿番組であるニュース番組です。テレビ創世記のニュースは、アナウンサーが活字言葉のような難しい言葉でお伝えしておりました。ズームイン朝を10年やりニュースを担当することにもなりましたが、ちょうど時代が久米宏氏さんという機代の天才的なキャスターが生まれたことにより、ニュースが興味深い番組としてお茶の間にはいってきた。次のVTR時代のテレビは哀れでした。同じ時間に同じ人が他局の テレビに出ている。これが面白くないという要因になりました。その頃24時間テレビが始まりました。萩本欣一さんが募金を集めるチャリティ番組でしたが、生放送ゆえ、もしかすると何かあるかもという期待感が視聴者芽生え、唯一つ、生放送だったというだけで大成功を収めました。24時間テレビは「愛は地球を救うというテーマ」でしたが、正に「生はテレビを救った」わけです。これが無ければテレビは衰退の一途をたどったのではないでしょうか。追いかけるように、生の面白さ、お昼の時間に革命的な番組ができました。「笑っていいとも」これらはテレビの中で大きな役割を果たしたと思います。そこで久米宏さんの素晴らしさです。私たちの話している言葉でニュースを伝え、キャスティングも絶妙でした。NEWSは新しいことを伝えるのはもちろんのこと、東西南北なんでもニュースであるという精神でニュース番組がお茶の間にかなり浸透しました。ニュースは生です。生だからおもしろく、テレビは新たな時代を迎えました。 |